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暑さ続きであるがまだ7月である。 蝉の鳴きはじめは遅かったような気がするが、今はこの暑い中まさに蝉時雨 この頃は子供は蝉を追わないから街路樹に我が物顔で鳴いている。 来月も暑そうである、まあ寝て過ごすのみ、クーラーさんご苦労さん。 | ||
恒例の成瀬ヶ丘夏祭り、2日間の予定が初日は台風で中止、今日一日で二日分をやるとのこと。 趣味の会、同好会、教室等の日頃の鍛錬、練習の見せ所でもある。 | ||
台風12号の影響で当地は今豪雨です。全国に被害の出ないことを祈るばかりです。 先般の広島をはじめとする土砂被害をもたらした大雨、 今回の12号台風とも、「過去の経験の通じない・・・」と「不要、不急の外出はお控え下さい」のフレーズが天災の大きさを物語っています。 引き続き蟄居しています。 | ||
30年前の古い写真である。旭川支店在勤中の同僚と会食、同僚が自宅改築中に出てきたというこの写真をいただいた。 1988.07.20 海岸近くの民宿から灌木の中を黙々と歩いて利尻山に登った。 途中で富山市の老人が一人で登っているのに遭遇、彼の富山弁を聞きながら一緒に頂上へ、今でいえば危険な老人の単独行だ。 会食はこの老人を話題にひとしきり盛り上がったが、「もう一度行こう」と言う動議は出なかった。軽々登ったのは30年前のことである。 | ||
新刊「フィレンツェ」と同時に申し込んでいた既刊「ヴェネツィア」が昨晩、
本屋着。「ヴェネツィア」の絵画の説明は難しくて良くわからないが、その絵画を産んだ背景は面白い。ヴェネツィアの最盛期の16世紀、人口17万人の中に約1万人の娼婦が居たとの記述は目を引く、ティツァーノが描いたヴィーナスやマグダラのマリアのモデルはこれらの女性であった、と言う。 同時に再読したのはヴェネツィアの興亡を書いた塩野七生の「海の都の物語(続)」の衰退から滅亡過程である。 この塩野七生の「海の都の物語」は、1981年の刊行であるが、ヴェネツィアの貿易政策・効果を記述した後に次の文章で締めくくっている、「活力の衰えた時期になされる保護政策は、失敗する宿命にあることを実証する一例である」(続、p345)と・・・・ ヴェネツィアにはツアーで、2度4泊している。ホテルは、いずれもサンマルコ広場の極近くであった。 | ||
フィレンツェの美術についての案内書的である。歴史を語り、衰退と衰退期と交わるルネッサンス芸術を分かりやすく述べている。 好きな作家・塩野七生は、フィレンツェ人の特色は彼らの持っている「批判精神」であると言い、更にこの精神は「我が身さえ傷つけずにおかないほど」であると言う。この精神がルネッサンスを産んだ。 因みに、同氏はベネチュアは「家族と思わせる共同体意識」、ジェノバは「個人主義」と色分けしている。 ツアーで一度(2泊)しか行ったことないが、元気に歩けるうちにもう一度行ってみたくなる。 本日、観測史上最高気温 熊谷市で41.1度を記録 | ||
今日も朝から暑い。珍しいアドバルーンが揚がっている。 懐かしい宣伝方法である、どんな会社が揚げているのだろうかな〜、もう少し涼しければ散歩がてら行ってみようと思うがね〜。 我が時々日記を見たら昨年の7月にも同内容の記載あり、結局見に行っていない。 | ||
今日もブータン、30年ブータンに興味を持ってきた故である。 36度を超す酷暑の中、早稲田大での「ブータン勉強会」に行った。知った顔ぶれが多く、こうゆう勉強会は楽しい。何せ、自分では何も勉強せず、若い先生の話を聞くだけである。 今日のテーマは、1958年のインド・ネルー首相のブータン初訪問である。 訪問翌年の1959年は中国のチベット侵攻があり、3月にはダライ・ラマがインドへ亡命する微妙な時期の訪問であり、ブータンは第3代国王の治世である。ネルー首相の訪問は中印の軋轢の中でのフータンの立ち位置の難しさを表している。 ネルーの訪問以降、ブータンはインドの支援により急速な近代化へと進み、インド軍の駐留を受け入れている。 ブータン・中国の国境線の不安定さは今も続いている。 | 写真なし。高齢者に対しての福祉協議会の説明会に家内と参加した。救急の場合は結局「運」であることが分かった。 | |
今日もブータン、30年ブータンに興味を持ってきた故である。 ブータンからの初松茸が到着したのと噂を聞いた。 2011年8月、日本・ブータン友好協会設立30周年記念訪問時に松茸パーテーのご招待に与った。ブータンの方々が出勤前に採って来ていただいた松茸を畳一畳ほどの金網にのせて食べさせていただいた、食べても食べても減らない松茸であった。 この松茸は商品化され日本に輸入されている。 | ||
朝日新聞16日朝刊に載った記事である。ブータンの民主化をどの視点でとらえているのか疑問、現在の混乱・不安定は民主化が定着しないからではないと思っている。 ブータンは王様の意向により「立憲民主制」へと向かっている、10年で民主制が定着すると思っているのであろうか? ブータンの不安定さは民主制に慣れないこともあろうが、主因はグローバル化の波の飛沫が掛かっていることによる。 | ||
旧中央郵便局の5階から見る。間もなく雨になる前の一瞬の夏模様。 隔月の旧職場の同期との昼食に東京駅へ出かけた。 この会も良く続くものだ、ただ集まって適当なものを食べる、ゆるい集まりが良いのだろう。次回は9月、小生が幹事 | ||
小田急の特急ロマンスカーの現在のスタイルは本日で終了とのことである。 たまたま先日新宿駅で見た、間もなく終了と聞いていたので写したものである。 たびたび乗ったわけではないが、所謂「晴れの日」に乗った程度かな〜。そういえば子供は小さいころ「おばきゅうロマンスカー」言っていた。 ただ最近は老齢の故か新宿に行った折には帰りの切符を時間を見当つけて購入することもある。 | ||
今年最初の花火を家から見た、せぜい20分程度であったかな。 一方、豪雨の特別警戒が西日本中 心に発令された。 夜9時ころでは、豪雨による人的被害は死亡、不明を含めて140人近くに達している。 明日からは暑いそうだ。 | ||
日本の西半分と北海道の北は豪雨の被害続出、当地は雨が上がって久しぶりに散歩。道端の草に雨の雫が残っている。 夜は千葉で震度5弱、当地3の地震、天変地異は天の許さざることが進行しているのかな〜、そういえばオウム真理教の元締の死刑の執行もあったな〜 | ||
朝日新聞電子版が、私が久しく常用している降圧剤「バルサルタン」に発がん性物質混入と報じた。色々種類があるようで、私のが該当しないことを祈るとするか 該当種類は回収が始まっているとのことで、原因は中国で作る原料にあるようである。 これはジェネリック医薬品である。安いのは開発費のほかにやはりこれもあったか? 私の服用しているのは別会社製とのこと、であった。 | 写真なし。昔の職場の方々7名と亡くなれた上司を偲ぶ会、色々な話が実に楽しかった。故人のお人柄であろう。 | |
仲間を語らって梅雨明けの皇居・東御苑へ散策に出かけた、涼風が吹きわたり快適。タイザンボクの白い大きな花は盛りを過ぎたがなお香りを放っている一方、もう萩が花をつけている。 いつもながら東御苑は植生が豊かでアサギマダラの群舞をみた、四季を問わず楽しい。また帰りの丸の内、大手町の変貌ぶりを眺めるのも食事も一興。 東御苑寸景 |